虹雅渓便り A (お侍 習作71)

       〜 お侍extra  千紫万紅 柳緑花紅より
 


          




 世話の焼ける次男坊の話でひとしきり盛り上がってから、ではと立ち去った兵庫殿の背中を見送って。さて、と、あらためて向き合った妻はというと、
「戻って早々、久蔵様の話題になってしまうところがあんたらしいねぇ。」
 いくら兵庫さんがいたからったってと、嬋っぽく目許を細めて“くすす”と微笑って見せる。それから、
「急な長旅、お疲れ様でしたねぇ。」
 お風呂、立ててありますよと。今度こそ素直にねぎらってくれる優しさよ。往路も復路も急ぎの道中。少なくはない埃もかぶったし、足元から跳ね上がるほど振り回されてはないながら、それでもずっと揺れる車上にいたせいか、少しは疲れていたのも事実。
「それじゃあ、昼風呂いただこうかな。」
 藤色の小紋も涼しげな、薄い肩越しにあいよと応じ。はんなり首を傾げて微笑む所作がまた、優しくも麗しく。気立てもいいし、気が利いてて綺麗だし。こんな嫁さんもらえたなんて、アタシってば果報者だねぇと思い知る若主人だったりし。

 「そうそう、カンナはどうしたんです?」

 先程 雪乃がちょっぴり呆れたように、帰って早々の一番最初に久蔵殿の話で盛り上がっといて言うのもなんだがと。今頃になって訊いたのは、それはそれは大切な愛娘のことだったりし。若い頃から自分の顔で免疫をつけたものか、どんな美人を前にしても動じないこの七郎次が、その小さな姿へは たちまち相好を崩してしまう可愛らしいお嬢ちゃん。こういう街のこういう店に生まれたせいか、ちょっぴりおしゃまな口利きもするけれど、性格は真っ直ぐで大した我儘も言わない、そりゃあいい子だってことは、何も親の欲目からばかりじゃあない、周囲からの評判でもあって。

 「少し早いめにお昼を頂いたんで今はお昼寝です。」

 だからお出迎えに出て来れなんだだけですよ、
「拗ねてる訳じゃあないから、ご心配なく。」
「そうかい、それはよかったこと。」
 それは優しくって大好きなお父さんの急なお出掛け。それもばたばたっとした、いかにも慌ただしい出立だったので、ゆっくり“行って来ますね”を言う暇も無かった。日頃が日頃で、さんざ甘やかして接しているものだから、いきなり二の次にされてさぞかし拗ねてやいないかと、それを案じていたお若い父上であり。そして、そんな七郎次だってことを、ちゃ〜んとお見通しな奥方なところもまた奥が深い。長い廊下を通り、すれ違う店の者らとの会釈を交わしつつ、

 「そうそう。」

 ふと。雪乃は何か思い出したような声を出す。

 「お前さんが勘兵衛様とお逢いになってたのの、これも縁なのか、
  昨夜は店へ島谷様がおいでになられましてね。」
 「おや。」

 うっかり忘れていたという言いようだったが、それは…彼女もまた、やっと戻った夫の無事な姿への安堵に、心の緒が少しばかり緩んでしまっていたからだろう。というのも、
「島谷さんがねぇ…。」
 新進気鋭の絵師にして、その精悍な男っぷりも評判の、お得意様ではあるけれど。別に親類縁者とまでの間柄じゃあなし、日頃の日常にはお付き合いもないお方。それでも…おいでになられたことを、つい話題にしてしまうのは、浅からぬ縁があるお人だからで。
「夕涼みにと、ほんの少数でおいでだったんですがね。にぎやかなのを避けての離れをお使いだったんで、カンナがお庭から見かけてのちょっと勘違いをしましてねぇ。」
 夏場ならではの出足の遅い宵が、それでも望月の真珠色を映えさせるほどにはその帳
(とばり)を濃くしたほど暮れた頃合いのこと。いつも傍に仕える少女がちょっと目を離した隙に。家内の者の使う庭から離れのある中庭へ通じる枝折戸を開け、そちらへと出てってゆきの、暑気払いにと戸が開いていたところから中を伺い、

 『カンベちゃま?』

 そんなお声をかけたらしい。というのが、まだまだお若い絵師の島谷殿、当家の主人の元上司であり、命預けても悔いなしとまで慕ってのこと、誠意と忠心を捧げ尽くした島田勘兵衛という御仁と、どことなくながら風貌が似ておられ。しかもしかも、それが縁での一悶着もあったため、こちらの家の者からすれば、失礼ながら“ああ、あの”がついて回るお人であったりし。また、そういう事情までは知らぬ幼いカンナにしてみれば、その勘兵衛様がお越しの時はいつも離れで寝起きをなさると覚えていたので。庭先にいた折、ふっと視界を横切ってのそのまま、離れの1つへ向かわれたお顔が、勘兵衛殿ご当人と見えてしまいもしたのだろう。そして、

 『…カンベとは、島田勘兵衛殿のコトだろうかの?』

 気が荒いというほどではないながら、それでもどちらかというと快活で才気煥発。普通一般のお人とは価値観や何やが微妙に異なる“芸術家”でおいでだからか、童のように闊達で、意気軽快なお人との評もある御方だったので。小さな子供相手に“からかってやるべえ”などと悪戯心を起こされては一大事。すぐにも気づいての後を追って来た傍仕えの少女が、殿方の声を聞き分けて、ついのこととて お嬢様が手荒く扱われての泣かされやしないかとハラハラしたらしかったが、
『あい。キュウゾちゃまはおいでではありませぬか?』
 そんなことなぞ知りませぬと、ご当人は堂々としたもの。そこまで訊いての中を覗こうと背伸びまでするのへと、
『さて困ったの。わたしはカンベ殿ではないのだが。』
 そんなにも似ているものかのと呟いて苦笑をなさり。わざわざ戸口近くまで出て来られ、お膝に手をおいての身をかがめ。そうしやったことで双手を封じ、いくらまだ子供でも小さなお嬢さんには触れないようにとの心遣いをなさったは、さすが奥ゆかしくも紳士的なお方ですよねと。こちらもまだまだ幼い少女を ぽうとのぼせさせた、精悍な風貌の絵師殿。昨夜は白い小袖へ濃色の絽の羽織を合わせての、下は軽快な狩袴という、見た目も涼しげで小粋ないで立ちをしておられ。そんな衣紋の肩から背中までへとすべらかせた、少し縮れた豊かな髪をさらりと揺らし、何とも優しげに小首を傾げる仕草をして見せてのそれから、

 『キュウゾちゃまというのは、
  真っ赤なお洋服がお似合いな、金の髪をしたお若いお侍様だね?』

 そうと重ねて訊いたという。まだ気づかぬカンナが“あい”と頷くと、
『そうさね。そのお人にはわたしの方もお逢いしたいのだが…。』
 どこか感慨深げにそんな言いようをなさってから、後を追って来た少女に気づき、小さな会釈をしもっての、カンナ嬢を引き取らせたのだとか。庭には灯籠のほかにも足元への案内にと幾つか明かりを灯していたが、それでも転んだりしないよう、母屋へ引っ込むまでをずっと見送っていて下さったそうで。
「おやおや。」
 こちらからは、直接のそうと認めるような言いようをした覚えはなかったし、それへと言及なさる素振りを示されぬお相手様でもあったれど。あの、世間が“褐白金紅”と仇名する賞金稼ぎの二人連れが、この蛍屋と深く関わりを持つ人たちでもあること、何とはなくの察しておられるらしくって。
「同じ晩にそちら様とも逢瀬の機会が出来ようとは、確かに少なからぬ縁のあることかもしれないね。」
 先の四科展にて鮮烈な大作が入選となられて以降、どんどんと大きなお仕事をこなされての、今や飛ぶ鳥落とす勢いでお忙しくなさっておいでの“時の人”。それでもこの蛍屋へ、足繁く通って下さるのは。意識をしつつもさりげなく、座敷に飾る絵画や花々、仲居らがその身へ焚きしめるお香、庭の草木の剪定や拵えにほどこす趣きへの工夫などなどへ、季節に合わせての配慮を怠らない、そんな“粋”を理解して…のことだけではないらしく。

 『あのお二方は私にとっては命の恩人です。』

 この街へ立ち寄る際には、こちらへもしばしばお運びになられるとか。どうかよろしくお伝え下さいませと。直接の関わり云々へは触れぬよう、遠回しに掠めさせるよな言い回しをなさりながらも、それとは裏腹、知らぬと惚けたって無駄だと言わんばかりの強い眼差しにて言い置かれたのは。彼が盗賊からとんでもないものを預けられた騒動があった折のこと。勘兵衛や久蔵が彼へと伸びた魔手を叩き払うべくの救いの手を延べたのは、彼に似ている勘兵衛へ、誤解の刺客が迫り来たことから関わったという順番だったのだけれども。(『
無明烏錯想浮舟』参照)
“それ以前から、久蔵殿へご執心であられた様子だったからねぇ。”
 人の世の機縁というものは、ほんに読めない綾を成すものよと、その奇縁に苦笑をした七郎次で、

 「カンナが間違えて譲らなかったのは、顎に蓄えたあのお髭のせいもあったのでしょうよ。」

 そこからも瑞々しい緑の濃い中庭を望める、奥まった私室の居間までを揃って運び、良人の肩から外出着の羽織を脱がせる手伝いをしつつ、何げなく口にした雪乃の言へ、
「そうさね。あのお人、どうかするとアタシよりずっとお若いかも知れないお年頃だろうからねぇ。」
 それだのに…いくら子供の分別のなさからとはいえ、勘兵衛という いい壮年と間違えられるだなんて。ともすればお気の毒かも知れぬと、七郎次もまた小さく笑ったものの、
「………。」
「? お前さん?」
 ふと。その小さな苦笑を引っ込めた夫だったのへ、間合いが妙だと不審に思ったか。雪乃が凛と美しい目許を怪訝そうにしばたたかせ、どうかしましたかとの視線を向けると、
「いえね。」
 微かに迷うように視線を動かしてから、
「お前にも話してあったかな。弦造というお人のこと。」
「ええ。そりゃあ大っきな“雷電”とかいう機械の御身から、生身の人間と変わりない体格の“擬体”とやらにお引っ越しなさったお侍様のことでしょう?」
 侍にまつわることに関しては、あまり関わらせたくはないのと、それから。様々に義理もあってのこと、そうそう何でもかんでも雪乃や家人へ話して聞かせる七郎次ではないのだけれど、
「確か、お前さんにそっくりなんだってね。」
 けれど、目許に金っ気の装具を嵌めていなさるから、お顔の印象もそっちへ持ってかれてのパッと目には分かりにくいと。そのお身体を用意された平八様がそうと仰ってらしたのに、久蔵様には瞬視でそれと判ったのだと。そんな顛末話をくすぐったげに語ってくれた夫だったこと、雪乃が思い出していると、
「昨夜の出先で、その弦造殿にも逢えたのだがね。」
「あらまあ。」
 それで? そんなにも似ておいででしたか? さてねぇ、案外と本人はピンと来ないものだというのが判ったような。七郎次の口調がちょっぴり湿っての鈍りがちなのへ、
「お前さん?」
 雪乃が悩ましげなお顔になっての眉を寄せた。島谷様のお話からいきなり思い出したということは、そのお二方に何か因縁関係があるのかしらと想いを巡らせかかったものの、
「うん…大したことではないのだけれどもね。」
 今でも十分、妙齢の女性がぽうとするよな色香を残した端正なお顔、ほんのちょっぴり物憂げに曇らせた良人が、どこか困ったような笑い方をして見せての言うことには、

 「弦造殿が他でもないワタシに似ていると、すぐさま気づいた久蔵殿が、
  けれど、あの島谷殿と此処でお初の顔合わせをした折に、
  アタシがそれと言うまで、勘兵衛様と似ていること、気づかずにいたんだよ。」
 「…あら。」

 その後も、彼と勘兵衛が似ているとは全くの全然思っていないらしい久蔵であるらしく。そしてそれが、今になって引っ掛かった七郎次であるらしく。
「勘兵衛様が言うには、出先なぞで弦造殿と顔を合わせると、必ず飛びついての懐いて見せる久蔵殿だそうなのだが。」
 勘兵衛様は、七郎次へ母親扱いという勢いにて懐いていた久蔵だったのでという前提の下に“刷り込みとは恐ろしいものよの”と仰せになりたくてお話し下さったのだろうけれど、
「………。」
 ちょっとばかり複雑な想いがしたものか、その表情がともすれば沈んでしまった亭主殿へと、
「当たり前じゃあないですか。」
 雪乃はついつい吹き出すと、そのまま鈴を転がすような笑い声を上げるばかり。え?とお顔を上げた夫に向かい、
「弦造さんとやらは、お前さんを素
(もと)にして、つまりはわざわざお前さんに似せて作られた姿をしておいでなんでしょう?」
「ああ。」
「それとは違って、島谷様は容姿や雰囲気の少しずつが、勘兵衛様に似ておいでだってだけの、言い換えれば似ていないところの方が多い、全くの別人じゃあありませぬか。」
 久蔵様は勘兵衛様の容姿風貌だけに惚れなすったのではないという、いい証拠。お熱いことじゃあないですか。うふふんと笑ってお話の決着にしようとしたところ、
「おや聞き捨てならないねぇ。それじゃあ、アタシはこの容姿だけを久蔵殿から好かれていると?」
 だから、そっくりな弦造殿へも懐くのだということかねと。妙に絡んだ言いようを繰り出す夫であり。
「おや。」
 久蔵様はそういうお人なのですかい? お前の言いようだとそうなるじゃないか。あたしはただ、人の“好きずき”には色々とあるって言ってるんですよ。
「あたしなんかが言わずとも、お前さんこそ重々判っていなさるくせに。」
 ふふふと嬋な眸をしての下から斜め、ゆるり視線を上げながら微笑って見せて、
「ほんに欲の深いお人だねぇ。あたしやカンナだけでは足りず、勘兵衛様のいい人からまで“絶対の好き“が欲しいとはね?」
 ふふ…妬いてるのかい? さて、どうだろうねぇvv 向かい合ったまま、お互いの衿回りだの、着物の前合わせの張りや何や、手を這わせての擽ったそうにいじり合っているところを見ると。なかなか鋭い応酬をなさっていたのとは裏腹、ただ単に甘え合っておいでなだけであるらしく。
「さぁさ、ちゃっちゃとお湯を浴びて来て、カンナが起き出す前に一眠りなさい。」
 いつまでもグズグズしてないでと、半ば追い立てるようにして、自慢の亭主の背中をポンと叩いた奥方様。思ったよりも疲れてなさるから、自分を相手につまらない駄々を捏ねては甘えたがっているのだと、そこまでお見通しの雪乃であり。いくらこちらの元・槍使い殿が、軍隊生活の中にて培ったもの、人と人との機微に聡いといっても、それをこそ商いへの必須のものとして、接しのあしらいのして来た女将とは年季が違うというところ。はいはいとおふざけの延長のようにおどけての苦笑をし、湯殿があるほうへと向かった長身を見送って。

 “…何も殿方への悋気なんて妬かせなくたって。”

 女性の嫋やかさへの保護欲とは別仕立て。同じ性持つ殿御へも、男気とか信念とか矜持なんてものへと後生をかけて惚れなさる感性とやら、打ち捨てての見過ごせぬほど重きものとしてお持ちなものだから。これだからお侍は…と、やれやれと女将が零したは ちょっぴり深い溜息一つ。それへとの相槌のような間合いにて、軒に下げた風鈴が“りり・ん”と鳴った、夏の花楼街のとある昼下がりの一コマでございます。







  〜Fine〜  07.8.12.〜8.14.


  *おっ母様の奥方である以上、
   雪乃さんはとことん“いい女”にしたい筆者でございますが。
   理解はあるけど、だから辛いなぁなんて、
   たまにはこっそり溜息つくことだってあるでしょうよ。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv **

戻る